番外編・土佐旅行記(1)
皆さんこんにちは。火曜日担当の辻です。
さて、毎週ブログに書くネタを求めて、一人であちこちふらふら彷徨っている私ですが、
先週末は取材(?)に行くことが出来なかったので、何と今週はネタがありません。
そこで全く京都近郊でもなんでもなくて恐縮なのですが、昨年訪ねた高知の旅の思い出を語りたいと思います。
高知といえば、やはりあの人ですよね。そう、幕末の志士、坂本龍馬です。
昨年の大河ドラマ「龍馬伝」のブームに私もしっかり乗ってしまった一人です。
毎週オープニングで福山龍馬が駆け抜ける桂浜に、私も是非行ってみたい・・・!!
という訳で2010年10月9日、生まれて初めて高知に上陸しました。
まず神戸へ行き、神戸港からフェリーに乗り高松へ、そして高松から高速バスで高知へと向かいました。
なんでそんな面倒くさいルートで・・・とお思いかも知れませんが、
ただ船旅がしたかった、それだけです。(笑)
朝の10時ごろJR高知駅へ到着。予約をしていたホテルに荷物を預け、さっそく高知の街へ出かけました。
はりまや橋からアーケードの商店街を歩きます。この商店街を抜けると反対側には高知城があるのですが、
その途中には二つの史跡がありました。
左が吉田東洋が暗殺された場所、右は武市瑞山が切腹した場所です。
吉田東洋は土佐藩の参政を務めていた人物です。
革新的な思想で藩政の改革を進めていましたが、過激な尊王攘夷派(帝(天皇)を尊び、異国の日本への介入は断固排除すべきだという考えを持つ人々)の土佐勤皇党により暗殺されてしまいます。
土佐勤皇党の盟主であった武市瑞山は、後に藩主山内容堂による弾圧で、切腹する事になります。
誰も成し得た事がないと言われていた三文字の割腹を遂げ、武士の気概を見せた最期であったそうです。
その武市瑞山の石碑のある場所からも見えるのが、高知城の天守閣です。
左の銅像が高知城を創建した戦国時代の武将・山内一豊公です。
関ヶ原の合戦での武勲を讃えられ、徳川家康より土佐24万石を与えられた一豊公が1603年(慶長8年)に築いたお城が高知城です。
現在目にする事が出来る天守閣の中では比較的小さめに見えますが、この高知城の天守閣は1749年(寛延元年)に再建されたものが今日まで残されている、数少ない「現存天守」の一つです。
260年もの時代を経てきた天守閣、内部に入ると小さいながらも頑丈な作りである事が分かります。
高知城を後にし、お昼ご飯を食べた後は、坂本龍馬生誕の地、上町へ向かいました。
続きは来週お送りしたいと思います。今日はこの辺で。