京都近郊歴史スポット巡り(19)
みなさんこんにちは、火曜日担当の辻です。
今週はこちらに行ってきました。↓
京都市左京区にある「金戒光明寺」です。
承安5年(1175年)に法然上人によって創建されたお寺です。
以前このブログの第一回目の記事で、養源院にある江(浅井三姉妹の三女・崇源院)の供養塔をご紹介しましたが、
金戒光明寺にも江の供養塔があります。
これは徳川三代将軍・家光の乳母である春日局が、家光の母である江を弔う為建てたものだそうです。
また、写真の門「高麗門」にも掲げられているとおり、幕末時代末期には、京都守護職の本陣が置かれていました。
京都守護職とは幕末時代悪化した京都の治安を回復・維持する為に作られた職制で、会津藩主の松平容保がこれに任命されました。
有事の際に対応出来るよう、江戸初期に城郭構造に改築されていた金戒光明寺がその拠点とされたのです。
京都において幕府に反発する勢力を厳しく取り締まっていた新撰組は壬生の屯所を拠点としていましたが、
彼らもまた京都守護職の配下に置かれていました。
会津藩は長州藩を始めとする攘夷派の勢力を排除し、蛤御門の変でも長州藩の襲撃から御所を守るなど、その活躍により孝明天皇からも厚い信任を得ていましたが、
薩長の同盟により幕府の力が弱まると、会津は明治新政府により天皇に敵対する「朝敵」とされてしまいます。
小高い丘の斜面に作られた墓地の一番奥には、激動の幕末の時代に命を落とした350名余りの会津藩出身者を弔う「会津藩殉難者墓地」があります。
慶長十年(一六〇五年)に豊臣秀頼により再建された阿弥陀堂には、ご本尊の阿弥陀如来が、
「大殿」とも呼ばれる御影堂には千手観音や文殊菩薩、法然上人の坐像などが置かれています。
後小松天皇の「浄土真宗最初門」の額が掲げられている山門は、現在改修工事中でした。
金戒光明寺へは、京都駅発市バス100系統「岡崎道」バス停下車徒歩10分
京阪電車「神宮丸太町」駅下車徒歩10分です。
秋には美しい紅葉も楽しめるお寺です。皆さんも是非おでかけしてみて下さい。
それでは今日はこの辺で。