京都近郊歴史スポット巡り(12)
みなさんこんにちわ、火曜日担当の辻です。
先日、大阪歴史博物館へ行く用事があったので、ついでに少し足を延ばして、こんな所を訪ねてきました。
大阪の淀屋橋と北浜の間、オフィスビルが立ち並ぶ場所に、そこだけ時間が止まったかのような古い建物。
重要文化財にも指定されている、史跡・適塾です。
適塾は、医師であり蘭学者であった緒方洪庵が開いた蘭学を学ぶ為の私塾です。
こちらが緒方洪庵先生です。
「蘭学」というのは江戸時代にオランダを通じて日本に入ってきた西洋学の事です。
ヨーロッパ諸国の文化、学問、技術などを広く学ぶ事です。
緒方洪庵は文化7年(1810年)、備中国(現在の岡山県)の武士の家系に生まれますが、
身体が丈夫では無かった為、武士として生きる事を諦め、医者を志すようになりました。
15歳の頃父に連れられて大阪に、さらにその後江戸へも下り、長崎へも遊学し、
多くの学者、医師に師事し、医学と蘭学を学びました。
28歳の頃に大阪へ戻り、医師として開業、同時に開いたのが適塾です。
天保9年(1838年)に創設され明治元年(1868年)に閉鎖されるまでの30年間で、
適塾で学んだ人の数は延べ3000人とも伝えられています。
後に幕末・明治の日本の歴史に関わった多くの人たちが此処で蘭学を学んだそうです。
入口から玄関部屋を通って次の二間が教室。現在は此処が参観受付になっています。
教室の間を出ると中庭があり、その向こう側が洪庵の書斎です。
この部屋には洪庵が使用していたとされる文机が置かれています。
次の間は応接間・客間です。庭の廊下を伝って隣に行くと家族部屋。洪庵の家族が生活していた場所です。
洪庵の妻八重夫人は、夫を支え塾生たちの世話をしながら、13人の子供を産み育てたそうです。
この間には八重夫人の肖像画が飾られています。
納戸を通って台所にあるとても急な階段を上ると女中部屋があり、その奥に「ヅーフ部屋」という間があります。
「ヅーフ」というのは長崎に住んでいたオランダ人、ヘンドリック・ドゥーフ氏が書いたと言われる「蘭和辞典」です。
とても貴重な本で一冊しか無いのですが、適塾で蘭学を学ぶ為には欠かすことの出来ない書物なので、
塾生達は入れ代わり立ち代わり、この間におしかけヅーフを読んで勉強していたそうです。
適塾に一冊しかなかった「ヅーフ」は今も大切に保管・展示されています。
他にも歴史の授業に出てきた、有名な「ターヘル・アナトミア(解体新書)」などもありました。
貴重な本の間の隣は、板張りの床の大部屋です。
適塾の生徒には、自宅から通学してくる者と此処で下宿をしながら学ぶ者の二種類あり、
下宿していた塾生は、この部屋で寝起きをしていたそうです。
がらんと大きなこの広間で、沢山の学生たちが生活していたんだなぁ、と、
何だかその活気ある様子が目に浮かぶようでした。
適塾へは、京阪淀屋橋駅で下車し、北浜方面へ徒歩3分程度です。
最近では大阪駅ビルが新しくオープンし、活気づいているみたいです。
皆さんも是非大阪におでかけしてみて下さい!
それでは、今日はこのへんで。